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■「追悼碑を守る会」が発行した小冊子の内容を要約すると・・・
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国鉄吾妻線工事での主力は朝鮮人労働者でした。
1944年の「群馬県知事事務引継書」には「1943年7月〜1944年2月20日までに、
渋川、原町、長野原各警察署管内発電、鉄道両工事に1,110名の徴用朝鮮人を送り込んだと書かれています。
吾妻線工事全体では千数百人の強制連行朝鮮人が投入されたものと思われます。
そして一部区間の強制連行朝鮮人は軍隊式に管理され、報酬の一部を強制的に寄付させられていました。 |
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「追悼碑を守る会」の小冊子によれば、工事の主力は朝鮮人だったそうですが、中之条町誌を見る限りでは工事の主力は勤労奉仕(ボランティア)の地元住民でした。
中之条町の歴史と民族の博物館「ミュゼ」でも同様の解説でした。 |
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中之条町 歴史と民族の博物館「ミュゼ」 |
≪中之条町誌 第二巻 102ページ 第九章 昭和戦時期≫
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この突貫工事の強行と労働不足に対しては、まず地元民が各地域各職域をあげて勤労奉仕にささげられた。
青年団・翼賛壮年団・在郷軍人分会・警防団・商業報国隊そして各町村民が何次かにわたって動員された。
そしてなお不足する労力に対しては学徒や朝鮮農民が動員された。 |
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「徴用朝鮮人を送り込んだ」という表現は引用元には見当たらない |
「追悼碑を守る会」の小冊子によれば、昭和19年の「群馬県知事事務引継書」には「1943年7月〜1944年2月20日までに、
渋川、原町、長野原各警察署管内発電、鉄道両工事に1,110名の 徴用朝鮮人を送り込んだ」と書かれているのだそうです。
下記の文章がその昭和19年「群馬県知事事務引継書」の当該部分の抜粋です。そこには朝鮮人労務者激増の状況が書かれていますが、「朝鮮人を送り込んだ」などという表現は見当たりません。
しかもこの引継書を見る限り、当時は治安上の問題から、朝鮮人の不法潜入や紛争を取り締まっていたことがうかがえます。
そもそも1944年2月の時点で朝鮮半島からの徴用は始まっていません。
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2
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近時々局ノ要請ニ基キ鉱山 発電所其ノ他鉄道工事場等ニ朝鮮人労務者ノ入住増加シ 就中国民動員計画ニ基ク集団移入朝鮮人労務者激増ノ状況ナリ
昨年四月十五日 吾妻郡嬬恋村所在北海道硫黄株式会社小串鉱業所へ五十名入山シタルヲ初メトシ 仝年七月以降本年二月二十日迄ニ
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渋川 原町 長野原各署管内発電鉄道両工事場ニ |
一,一一〇名 |
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利根郡下ノ日発水力発電工事現場ニ
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七六三名
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高崎鉄道改良工事現場ニ
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一〇〇名
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入住シタルガ其ノ間 待遇問題其ノ他ヲ云々シテ逃走セルモノ 二七三名ニ上リ内発見セルモノ 五一名ニシテ悪質ナルモノ五名ハ
国家総動員法並労務調整令違反トシテ検挙送局シタリ
尚之等労働者ニシテ昭和十八年八月十三日
管下利根郡桃野村大字下津
株式会社間組山中事務所配下 土工 当 三十一年
ハ不敬言辞ノ為シタルヲ 所轄沼田署ニ於テ検挙 同月二十日不敬罪トシテ送局 十月十二日懲役十月ニ処セラレタリ
以上ノ如ク 今後益々此種移入労務者其ノ数ヲ加フルト共ニ 之ニ伴フ不逞鮮人ノ潜入モ難計ク 又彼等ノ通有性タル住所移動乃至逃走或ハ多衆ヲ以テスル紛争議ノ発生等
其ノ数ヲ増シ治安上看過シ得サルモノアルベキヲ予想セラルヲ以テ視察取締、完璧ヲ期シツアリ
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「追悼碑を守る会」の小冊子によれば、朝鮮人労働者は軍隊のように管理され、強制的に寄付をさせられたそうです。
ところが引用元の中之条町誌に書かれている関喜平氏(中之条町の新聞記者)の日記は、朝鮮人労働者を褒め称えるものでした。
下記の文章がその日記ですが、「追悼碑を守る会」の小冊子では赤字の部分が切り取られ、無理矢理「朝鮮人労働者=犠牲者」としているようです。
そこには朝鮮人労働者を憐れむ記述などどこにもありません。
逆にこの日記からは、朝鮮人勤労者には高い給料が支払われていたということが推察できます。100人いた朝鮮人労働者の一日分の報酬の合計が350円ですから、
単純計算で一人あたり一日3円50銭という、当時としては高額な報酬を得ていたことになります。(昭和18年、命をかけていた日本軍人の二等兵の給与は月額で6円、大将で550円の時代でした。)
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≪中之条町誌 資料編 1332ページ 第五章 昭和戦時期≫
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第五工区 岩島(大倉組)昨秋、朝鮮の勤労者百名を迎え意気いよいよ揚った。郷原公会堂に寝泊まりしているが、作業始めから就寝まで一切軍隊式に行っている。
昨年の十二月八日の開戦記念日には一日分の報酬を各自が醵出して三五〇円を差し出しているのも麗しいではないか。
この工区の最難関は矢倉トンネル二百メートルで、軟い岩盤に死闘を続けている。岩島村民一戸一人の報国隊が近日中に出勤する。
第六工区 長野原(大倉組)吾妻線工事の最難関は吾妻渓谷だ。二キロのトンネル掘さくが人力を拒んでいる。大小合せて五本、鉄より固い岩盤はタガネを拒み、日に三歩間隔しか進まない。
ここの就労者は五百四十九人に、朝鮮勤労者百五十名が加わってる。
現在の労働者の二倍が必要で、予定の渓谷工事も進まないのが現状、しかし予定の人員を増やせば、収容する住居も食料も寝具もない。
どうしても地元の労力提供をお願いしたい、と報国隊の出動を望んでいる。
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【編集者注:麗(うるわ)しい=りっぱでむつまじい】
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