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「群馬の森」朝鮮人追悼碑情報

 ◆【東京高裁判決】群馬県逆転全面勝訴! 設置更新不許可は適法!
  (2021.8.27 UP)
 「群馬の森」にある朝鮮人追悼碑の設置許可を県が更新しなかったのは違法として、碑を管理する「追悼碑を守る会」が不許可処分を取り消すよう求めた訴訟の控訴審判決で、東京高裁は26日、処分を違法とした一審の前橋地裁判決を全面破棄し、「追悼碑を守る会」の請求を棄却しました。

 平成16年、「政治的行事は行わない」という特例条件の下で「群馬の森」に設置された朝鮮人追悼碑でしたが、毎年碑の前で行われていた「追悼」という名の集会は政治的な発言に満ちていました。設置条件をあっさり反故にされた群馬県は碑の設置更新時期であった平成26年に設置更新の不許可を決定、しかしこれを不服とした「追悼碑を守る会」が設置更新不許可の取消しを求めて前橋地裁に提訴していました。

 平成30年の一審判決では、設置更新の不許可については「県側の裁量権逸脱」と判断され、追悼碑は存続したままになっていましたが、今回の二審判決で群馬県が全面勝訴したことにより、日本を不当に貶めるニセ追悼碑の設置更新不許可はめでたく適法となりました。


◆群馬での朝鮮人強制連行のウソを暴く。 (2021.9.13 UP)

 県立公園「群馬の森」にある朝鮮人追悼碑の設置期間の更新を県が不許可にしたのは違法として、碑を設置した市民団体「追悼碑を守る会」が不許可処分を取消すよう求めた訴訟の控訴審判決で東京高裁は令和3年8月26日、「追悼式で『強制連行』という文言を含む政治的発言があり、追悼碑は中立的な性格を失った」とし、処分を違法とした一審の前橋地裁判決を全面破棄し、「追悼碑を守る会」の請求を棄却しました。 犠牲者の名前が一人も刻まれていない、この不思議な追悼碑をめぐっては群馬県が全面勝訴したことで碑の設置更新は晴れて不許可となりました。 群馬での、いわゆる「強制連行」の主張も、その多くがデタラメであったことが検証によってバレてしまいましたが、それでもなお「追悼碑を守る会」は最高裁に上告、現在も法廷闘争は続いています。 「群馬の森」の朝鮮人追悼碑は、最高裁で争われていることでさらに政治的な性質を帯びた、県立公園にはふさわしくない反日オブジェと化しています。
「追悼碑を守る会」が小冊子『消し去られた歴史をたどる』で主張する、群馬での「朝鮮人強制連行」検証結果
現場・工事名 所在地 人数 検証してみた!
群馬鉄山 吾妻郡六合村 480 検証結果
国鉄吾妻線工事 吾妻郡内 1,110 検証結果
小串鉱山 吾妻郡嬬恋村 50 検証結果
羽根沢鉱山・その他鉱山 吾妻郡嬬恋村 人員不詳 捏造MAX
陸軍浅間演習場 長野原町北軽井沢 195 検証結果
岩本発電所導水トンネルエ事 沼田市岩本 約1,000 検証結果
中島飛行機後閑地下エ場 利根郡月夜野町 約1,000 検証結果
陸軍火薬工廠地下工場 沼田市上川田 人員不詳 検証結果
中島飛行機薮塚地下工場 太田市西長岡 1,000〜2,840 検証結果
高崎駅操車場整備工事 高崎市下之城周辺 100 検証結果
堤ケ岡飛行場建設 群馬郡群馬町 多数 NEW!(2018/8/19)

◆朝鮮人追悼碑をめぐる経緯 (2021.9.7 UP)

平成13年2月  追悼碑を建てる会(当時)が県議会に追悼碑建立の請願を提出
6月  議会常任委員会が請願を趣旨採択(挙手による採択ではなく、「賛成」との声だけで議決)
平成15年11月  小寺弘之群馬県知事(当時)が「群馬の森」に用地提供を決裁
平成16年3月  県が設置許可。設置期限は26年1月末
(追悼碑を建てる会側は、「強制連行」「強制労働」という文言を入れたかったようであるが、政府発表の談話にもそのような文言はなく、あくまで政治的施設ではないということで県側と妥協)
4月  追悼碑が除幕。その後、追悼碑を守る会(以下「守る会」)が毎年(24年まで)碑の前で追悼集会を開催
(除幕式には「従軍慰安婦」造語の生みの親、元朝日新聞社・植村隆記者の義理の母の梁順任(ヤン・スニム)も出席。 県内関係者では角倉邦良県議、石川眞男玉村町議らが追悼の辞を述べた他、星野已喜雄・沼田市長、新井利明・藤岡市長のメッセージが紹介される。)

≪追悼碑に刻まれた碑文≫
「20世紀の一時期、わが国は朝鮮を植民地にして支配した。また、先の大戦のさなか、政府の労務動員計画により、多くの朝鮮人が全国の鉱山や軍需工場などに動員され、この群馬の地においても、事故や過労などで尊い命を失った人も少なくなかった。
21世紀を迎えた今、私たちは、かつてわが国が朝鮮人に対し、多大の損害と苦痛を与えた歴史の事実を深く記憶にとどめ、心から反省し、二度と過ちを繰り返さない決意を表明する。過去を忘れることなく、未来を見つめ、新しい相互の理解と友好を深めていきたいと考え、ここに労務動員による朝鮮人犠牲者を心から追悼するためにこの碑を建立する。この碑に込められた私たちのおもいを次の世代に引き継ぎ、さらなるアジアの平和と友好の発展を願うものである。」

平成17年6月  群馬県が全市町村へ朝鮮人遺骨調査を依頼するが該当なし
平成24年5月  追悼集会での政治的発言が朝鮮新報(日本語版)に掲載され、特例中の特例条件であった「政治的行事および管理は行わない」という県との約束違反が発覚。

≪韓国のテレビ局が無許可撮影≫
平成24年7月3日の午後、韓国のテレビ局が「群馬の森」を訪れ、無許可で撮影を行っていました。

平成25年3月  群馬の森のトンデモ追悼碑がチャンネル桜で放送される。
☆★☆ 朝鮮人追悼碑をめぐる一連のメディア報道はこちら ☆★☆
12月  追悼碑を守る会が更新許可申請書を県に提出
同月  集会の内容を報じた朝鮮新報の記事で、県が政治利用の疑いがあると判断。「守る会」に質問書を提出
平成26年1月  「守る会」が県に回答書を提出し、朝鮮新報の記事内容を認める
同月  県が「追悼集会が政治的だったとの認識があるか」など再度詳細な質問書を提出。回答がないまま31日の設置期限を迎える
2月  定例県議会で塚越議員(自民党)が群馬の森の追悼碑について初めて質問を行う。
3月  県内の5団体などが設置許可取消しを求める請願書2件を県議会に提出
4月  守る会共同代表の角田義一元参院副議長が追悼集会で「憲法違反の質問には答えられない」、「(更新を)拒否すれば国際問題に発展する」などと発言
5月  守る会が態度を一転、「不適切な発言があった。今後は追悼に徹する」などとした回答書を提出
同月  「救う会・群馬」が、設置許可取消しを求める請願書を県議会に提出
≪県が確認している集会での主な政治的発言≫
「日本政府は強制連行の真相究明に誠実に取り組んでおらず、民族差別だけが引継がれ、 朝鮮学校だけを高校無償化制度から除外するなど、国際的にも例のない不当で非情な差別を続け、 民族教育を抹殺しようとしている」
「日本政府の謝罪と賠償、朝日国交正常化の1日も早い実現と東北アジアの平和のために草の根で活動したい」
「戦争中に強制的に連れてこられた朝鮮人がいた事実を刻むことは大事」
「強制連行の事実を全国に訴え、正しい歴史認識と徹底調査のための起点となってほしい」
6月  県議会産経土木常任委員会で設置許可取消しを求める請願3件を採択
同月  県議会本会議で設置許可取消しを求める請願3件を採択

≪議会の様子≫
6月9日の委員会での設置許可取消し請願の審議では、自民党県議の質疑が力強く、内容も見事であったそうです。 反対したのはリベラル群馬(民主党)の2名だけでした。傍聴された方のお話によれば、仕方なく反対意見を言わされているという感じだったそうです。

6月16日の本会議では賛成・反対双方の討論を経てからの採決が行われ、反対討論では共産党の伊藤祐司議員が「レイシストの精神に議会が賛同するのか」、 「自民党が右翼的に変質した」などとヘイトスピーチを繰り返したかと思えば、リベラル群馬の黒沢孝行議員は「追悼碑は日韓友好のモニュメント」、 「集会での政治的発言は認めた上で『もうしない』と言っている」、「友好を群馬の地から」などとボケを連発、議場はヤジと笑いが交差しました。 賛成討論に立った自民党の橋爪洋介議員は「当時の設置許可は条件付きだったが、その条件が反故にされた。遺憾だ。」と述べ、その後の採択では共産党とリベラル群馬の会派を除く賛成多数で請願は可決されました。

7月  県が自主移転を要請。守る会はこれを拒否するどころか県に条件を突きつける。
同月  県が設置更新不許可を決定!
11月  守る会が設置更新不許可の取消しを求めて提訴。
12月  守る会が追悼碑設置許可延長の請願を提出するも産経土木常任委員会で不採択となる。
平成29年4月  「群馬の森」朝鮮人追悼碑裁判の途中経過(2017/4/11)
12月  守る会が追悼碑設置期間更新を求める請願を提出するも産経土木常任委員会で不採択となる。
平成30年2月  守る会が発行する小冊子の捏造内容が産経新聞(群馬版)大きくで報じられる。
同月  前橋地裁にて設置更新の不許可処分を取り消す判決。
守る会側が求めていた「更新許可の義務付け」は棄却、政治的発言の有無については政治的であると認定される。
同月  県が控訴
令和3年8月  二審で群馬県が逆転勝訴!
一審判決は全面破棄され、守る会の請求は棄却される。
9月  守る会が上告 

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