「朝鮮人労務徴用者」強制連行の嘘とまやかし

 朝鮮人の強制連行を証明すると言われる古典的存在が、朴慶植の『朝鮮人強制連行の記録』である。しかしこの本には致命的な欠陥がある。
 「もっともひどいのは労務の徴用である。戦争が次第に苛烈になるにしたがって、朝鮮にも志願兵制度がしかれる一方、労務徴用者の割り当てが相当厳しくなってきた。 納得の上応募されていたのでは、その予定数に仲々達しない。そこで郡とか面(村)とかの労務係が深夜や早暁、突如男手のある家の寝込みを襲ひ、或ひは田畑で働いている最中に、トラックを廻して何げなくそれに乗せ、かくてそれらで集団を編成して、北海道や九州の炭鉱へ送り込み、その責を果たすといふ乱暴なことをした」と書かれており、これは『朝鮮親話』(鎌田沢一郎著)からの引用であるという。
 しかし原典とされる『朝鮮新話』には、「乱暴なことをした」の後に、「但(ただ)総督がそれまで強制せよと命じたわけではないが、上司の鼻息を窺ふ朝鮮出身の末端の官吏や公吏がやつてのけたのである」と書かれているのである。成績を上げようという末端の朝鮮人官吏が主体となった心得違いの行為なのである。
 これと同じことは「創氏改名」のときにもおきている。
『朝鮮人強制連行の記録』に「強制連行」を証明する資料として表紙が写真版で出ている「朝鮮人徴用労働者管理」の内容にしても、いかに徴用労働者を気持ちよく能率よく働かせるかということが書かれているだけである。別に何の問題もない。
 仕事が過酷で朝鮮人は逃亡したと言うが、この資料によると、彼らは二、三日で逃亡するとあり、鉱山労働を目的としておらず、内地渡航が本来の目的であるとして使用者側が困惑している。 内地渡航とは派手な都会での就労が目的である。こんな山の中など沢山だというわけである。どちらが正しいのか公正な比較をしようともしない。渡航費用は誰が負担したというのか?
 以上のように朴慶植は自分にとって都合のいいところだけを引用し、あたかも朝鮮総督府がめちゃくちゃな人間狩りをしていたかのように見せかけているのである。
 鄭忠海が書いた『朝鮮人徴用工の手記』によると、彼は日本人の戦争未亡人と仲良くなり、その家に寝泊まりしながら広島市内の工場に通っていた。どこにも苛酷な強制連行の事実などないのである。

【参考資料】
・日韓併合は日本の誇り(「日韓併合100年」首相謝罪談話に反対する会)