◆ 中島飛行機藪塚地下エ場
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■「追悼碑を守る会」が発行した小冊子の内容を要約すると・・・
(要約) 赤字:チェックポイント)
中島飛行機太田工場は米軍の爆撃を避けるために太田市西長岡に広大な地下工場を建設しました。建設にあたった労働者はほとんどが朝鮮人でした。当時、この地区には2,840人の朝鮮人が住んでいた記録があるので、いかに多くの朝鮮人が動員されたかを知ることができます。中国人の捕虜は過酷な労働で51人が死亡しました。 朝鮮人については資料が残っていませんが、たぶん相当の犠牲者が出たであろうと思われます。
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 そこに住んでいたというだけで強制労働の犠牲者に認定!

下の表は昭和20年5月の新田郡強戸村(当時)の家屋別人口の表です。これを見ると、第二区の西長岡に2,840人の朝鮮人が住んでいましたが、 「追悼碑を守る会」の小冊子によれば、たったこれだけの記録でいかに多くの朝鮮人が動員されたかを知ることができるのだそうです。 そして、資料は残っていませんが、相当の犠牲者が出たであろうと思われるのだそうです。
ちなみに、太田市史には朝鮮人を強制的に動員したなどとはどこにも書いてありません。


≪太田市史 史料編 近現代史 946ページ 第五章 社会・世相≫
昭和二十年五月 強戸村部落別家屋人口及主要食糧等の調 (人口に関する部分のみ抜粋)
行政区 部落名 家屋数 人口(男) 人口(女) 半島(男) 半島(女) 外人(捕虜)
第一区 成塚 125 320 370 680
第二区 西長岡 162 420 460 880 2,600 240 270
第三区 菅塩 130 350 400 750
第四区 北金井 7 250 300 550
第九区 大鷲 50 150 200 350
第五区 上強戸 60 230 250 470
第十区 太田 42 120 150 270
第六区 下強戸 150 360 420 780
第七区 寺井 110 260 350 610
第八区 石橋 270 550 600 1,150
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