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■「追悼碑を守る会」が発行した小冊子の内容を要約すると・・・
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昭和16年の「群馬県知事事務引継書」には吾妻郡嬬恋村で操業していた「羽根沢鉱山」に100名の朝鮮人を移入する計画が書かれていました。実際に入山したかはわかりません。 |
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「追悼碑を守る会」の小冊子によれば、昭和16年の「群馬県知事事務引継書」には吾妻郡嬬恋村で操業していた「羽根沢鉱山」に100名の朝鮮人を移入する計画が書かれていたのだそうです。
ところが、昭和16年の「群馬県知事事務引継書」に書かれていたのは「羽根沢鉱山」ではなく、片品村の「根羽澤鉱山」でした。 |
≪昭和16年10月 群馬県知事事務引継書より抜粋≫
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三、昭和十六年度 労務動員計画ニヨル朝鮮人労務者集団募集
指定鉱山並募集数
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善意で解釈すれば「根羽澤」を「羽根沢」と読み間違えたのかもしれませんが、
その「根羽澤鉱山」は嬬恋村ではなく、片品村にあった鉱山です。
しかしなんと、「追悼碑を守る会」の小冊子には実在しないはずの「羽根沢鉱山」が嬬恋村の地図に書かれていました。
場所はJR万座・鹿沢口駅から数キロほど南下したところに位置しています。
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地図に書かれている「羽根沢鉱山」の辺りには現在、嬬恋郷土資料館があるので実際に訪ねて聞いてみました。
対応していただいたのはボランティアでガイドをされている年配の方で、かつて嬬恋村で操業していた鉱山についていろいろ教えて頂きましたが、
「羽根沢鉱山」という名の鉱山は知らないとのことでした。職員の方もどなたも知りませんでした。
そして、そもそも「嬬恋村の鉱山は白根山系なので、この辺り(地図の辺り)には鉱山はありません」とのことでした。
もちろん嬬恋村誌にも、「羽根沢鉱山」という名の鉱山はどこにも書かれていませんでした。
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架空の「羽根沢鉱山」の辺りを浅間山を背に撮影してみました。左の高い木の方向にJR万座・鹿沢口駅があります。
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■「追悼碑を守る会」が発行した小冊子の内容を要約すると・・・
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、嬬恋村干俣にあった上信鉱山にも約80人の朝鮮人労働者が働いていました。強制連行であったかどうかははっきりしません。 |
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「追悼碑を守る会」の小冊子によれば、嬬恋村干俣にあった上信鉱山にも約80人の朝鮮人労働者が働いていたそうです。強制連行であったかどうかははっきりしていないそうです。
ところが嬬恋村誌には強制連行ではなかったことがはっきり書かれていました。 当時上信鉱山で働いていた70〜80人の朝鮮人労働者は操業していた会社内の移動でやってきました。それぞれが民家に分れ住み、村は空前の賑わいだったそうです。そこには強制連行や強制労働の陰鬱な影はどこにも感じられません。 |
≪嬬恋村誌 950ページ 鉱業 上信鉱山(ろうせき山)≫
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この鉱山は昭和十四、五年頃一炭焼夫によりその鉱床を発見され、大阪窯業の鉱区となった。
始め干川仁平氏等によって採掘され「ろうせき山」と呼ばれて一〇人程度の従業員で経営されていたが、
本来この鉱石が耐火煉瓦、アルミニウム、ジュラルミン等軍需資材として重要視されてきたので軍需産業として指定を受けたのが昭和十八年頃で「上信鉱山」と命名し、
当時草津町前口に在った日窒鉱業が機械施設を朝鮮鎮南甫へ移転現場を替えたのに伴ってその従業員が昭和十九年から大字干俣へ移住、約二五〇人が民家へ分れ住んだ。
中に七〇乃至八〇人の韓国人を含んでいたが、村は空前の賑わいとなった。
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