◆ 小串鉱山(嬬恋村)
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■「追悼碑を守る会」が発行した小冊子の内容を要約すると・・・
(要約) 赤字:チェックポイント)
1943年4月15日、朝鮮から50人の強制連行労働者が嬬恋村の小串鉱山に連れてこられて過酷な労働を強いられました。
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 「強制連行」などとはどこにも書かれていない

 「追悼碑を守る会」の小冊子によれば、吾妻線の工事と同じく、昭和19年の「群馬県知事事務引継書」がその出典のようですが、「強制連行」などということはどこにも書かれていません。

≪昭和19年2月 群馬県知事事務引継書より抜粋≫
近時々局ノ要請ニ基キ鉱山 発電所其ノ他鉄道工事場等ニ朝鮮人労務者ノ入住増加シ 就中国民動員計画ニ基ク集団移入朝鮮人労務者激増ノ状況ナリ  昨年四月十五日 吾妻郡嬬恋村所在北海道硫黄株式会社小串鉱業所へ五十名入山シタルヲ初メトシ 仝年七月以降本年二月二十日迄ニ
 渋川 原町 長野原各署管内発電鉄道両工事場ニ 一,一一〇名
 利根郡下ノ日発水力発電工事現場ニ 七六三名
 高崎鉄道改良工事現場ニ 一〇〇名
入住シタルガ其ノ間 待遇問題其ノ他ヲ云々シテ逃走セルモノ 二七三名ニ上リ内発見セルモノ 五一名ニシテ悪質ナルモノ五名ハ 国家総動員法並労務調整令違反トシテ検挙送局シタリ
尚之等労働者ニシテ昭和十八年八月十三日
管下利根郡桃野村大字下津
     株式会社間組山中事務所配下  土工       当 三十一年
ハ不敬言辞ノ為シタルヲ 所轄沼田署ニ於テ検挙 同月二十日不敬罪トシテ送局 十月十二日懲役十月ニ処セラレタリ
以上ノ如ク 今後益々此種移入労務者其ノ数ヲ加フルト共ニ 之ニ伴フ不逞鮮人ノ潜入モ難計ク 又彼等ノ通有性タル住所移動乃至逃走或ハ多衆ヲ以テスル紛争議ノ発生等  其ノ数ヲ増シ治安上看過シ得サルモノアルベキヲ予想セラルヲ以テ視察取締、完璧ヲ期シツアリ
【編集者注:就中(なかんずく)】
 札束でリュックがいっぱいになるほど稼いだ!?


 小串鉱山での朝鮮人労働者に関する資料は「嬬恋村誌」にも書かれていますが、そこには「四十六名入所」と書かれているだけでした。 ネットでは地元の古老の話として、「小串鉱山は人手不足だった戦争中、多くの出稼ぎ朝鮮人が札束でリュックがいっぱいになるほど稼いだ」という個人ブログの情報などもありますが、本当に過酷な労働を強いられたのか、実は札束でリュックがいっぱいになるほど稼いだのか、引き続き調査中です。


≪嬬恋村誌 上巻 954ページ 鉱業≫
昭和十八年には労務者不足で朝鮮から四十六名入所したのと、戦前石炭不足に対処するため、燃料を使用せず鉱石自身を焼いて、その熱で精錬する方法の「北硫式錬炉」を築造して切抜けた。
 嬬恋村郷土資料館でもきいてみた。

 嬬恋郷土資料館でボランティアガイドをされている方に小串鉱山について聞いたところ、以下のようなことを教えて頂きました。小串鉱山は相当儲かったようです。

☆当時、鉱山の仕事はエリートで高級取りだった。
  農家などで働く者とは収入に大きな差があった。
☆小串鉱山の鉱山長は帝国大学を卒業したエリートだった。
☆当時操業していた北海道硫黄株式会社は大資本の会社だった。
☆村議会議員26人のうち6人が小串鉱山の関係者だった。
☆多いときで何千人という鉱員が小串鉱山で働いていた。
 (朝鮮人の出稼ぎについてはわからないとのことでした。)⇒引き続き調査中
嬬恋郷土資料館から有料道路を経由して約1時間。この日の小串鉱山跡は霧で視界ゼロでした。
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