◆ 堤ケ岡飛行場建設
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■「追悼碑を守る会」が発行した小冊子の内容を要約すると・・・
(要約) 赤字:チェックポイント)
 ここでも工事の主力は朝鮮人だった。
<<< 検証してみた >>>

 工事の主力は朝鮮人ではなかったようです。

 「追悼碑を守る会」の小冊子によれば、工事の主力は朝鮮人だったそうです。ところが、地元の堤ケ岡村誌には飛行場建設の工事に関わった人員構成の記載がありますが、朝鮮人労働者の記載はありませんでした。

≪堤ケ岡村誌 320ページ 飛行場と開拓地≫
群馬郡町全村の青年団(北群馬郡を含む)は毎日三カ町村(一カ町村約三十名)づつ奉仕の鍬を振るった。 更に勢多郡の木瀬、芳賀、南橘、下川渕、敷島等、碓氷郡の秋間、後閑、岩野谷、板鼻、磯部、安中、里見等の各町村の青年団が加わり、一日六カ町村づつ奉仕する様になったのである。 其の他前橋刑務所の囚人、青年学校の生徒、在郷軍人分会、教員組合、警防団(消防団)、高崎市の土建業者組合、労奉、前橋小学校高等科の生徒等々必死の汗が来る日も来る日も流された。 一日の就労人員が二千百十一名に及んだ日もあった。
<<< 当時を知る人の証言 >>>

 堤ケ岡飛行場建設における「朝鮮人労働者」に関する証言

 2018年8月4日、「陸軍 前橋飛行場」というドキュメンタリー映画が一般公開されました。特攻隊の基地にもなっていたこの飛行場でしたが、地元の人たちは「堤ケ岡飛行場」と呼んでいたそうです。 映画そのものは地上波で繰り返し放送された「反戦モノ」の特番と同じで、「日本軍=悪」といったイメージのものでしたが、当時を知る人が朝鮮人労働者について証言をしていました。 証言によると、朝鮮人の仕事はトロッコ押しで、通常トロッコは二人がかりで押していたが、朝鮮人はそれを一人で押して、給料も日本人の2倍もらっていたとのことでした。

 「群馬の森」の朝鮮人追悼碑の除幕式で追悼の辞を述べた玉村町議会議員は、自身のブログで、この反戦映画のことを取り上げていましたが、朝鮮人が日本人の2倍の給料をもらっていたことについては、見事にスルーされました。

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