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2018.12.13 UP

「群馬の森」朝鮮人追悼碑  朝鮮人学校補助金支給問題  教育委員会・教科書問題
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 【朝鮮人追悼碑訴訟】 群馬県への公開質問状とその回答  (2018.12.13 UP)
 ウソと捏造の象徴、「群馬の森」の朝鮮人追悼碑をめぐる控訴審において、争う姿勢が全く感じられないない群馬県に対して、平成26年に碑の撤去を求める請願を県議会に提出された金沢氏より、公開質問状(12月3日付)が提出されました。

 12月10日の県議会では自民党県議からも、追悼碑訴訟での県側の消極的な姿勢について質問がおよぶ場面もあったようですが、担当部署である都市計画課の回答は、「裁判では書面で充分に意見を主張している」とのことだったそうです・・・。その都市計画課から公開質問状の回答が届きましたので、公開質問状と併せて掲載いたします。

(「群馬の森」朝鮮人追悼碑の詳細情報はこちらをご覧ください。)

 ≪公開質問状全文≫
  群馬県都市計画課「朝鮮人追悼碑」訴訟担当者殿

 拝啓 群馬県都市計画課の皆様におかれましては、朝鮮人追悼碑訴訟での奮闘努力に一県民としてまことに感謝の気持ちがこみ上げてきます。さて私は平成26年3月に群馬の森に設置された「朝鮮人追悼碑」の撤去を求める請願を群馬県議会に提出しました。そして同年6月の県議会においてこの請願が可決され朝鮮人追悼碑の更新不許可が決定いたしました。

 しかし追悼碑を守る会(追悼碑設置以前は建てる会)が更新不許可処分を不服として「更新不許可取消を求める訴訟」を前橋地裁に提訴しました。平成27年2月には最初の口頭弁論が行われ平成30年2月に「更新不許可を取消す」判決が下されました。つまり県側の敗訴でした。

 そして平成30年9月12日に東京高裁において「朝鮮人追悼碑」訴訟第二審口頭弁論が開始され同年11月5日に第二回口頭弁論が行われ、第三回は平成31年2月に予定されています。

 さて私は前橋地裁第一審判決後に群馬県都市計画課に、守る会(建てる会)が平成11年に発行した小冊子「消し去られた歴史をたどる」を検証した資料を提出いたしました。「消し去られた歴史をたどる」は群馬県内市町村における戦時中の鉄道建設や鉱山開発の状況を記録した公文書です。

 そして群馬県立図書館と県立文書館に小冊子の引用元である原書が保存してあり、原書と小冊子を比較することにより検証をおこなった結果、この小冊子に表記された文章のいたるところに原文と食い違う表現が発見されました。

 一例を挙げれば国鉄吾妻線工事などで1943年7月〜1944年2月20日までに1110名の徴用朝鮮人が送り込まれたとの記述がありますが原書にはこのような記述はありません。また朝鮮半島からの徴用が始まったのは1944年9月からですから記述の時期には徴用すら始まっていません。その他存在しない鉱山が地図入りで記述されていたりするなど10か所以上の意図的な改竄が見られました。

 この小冊子は平成13年追悼碑設置を求める請願で戦前戦時中における朝鮮人強制連行の証拠として提出されましたが、訴訟においてこの小冊子の改竄を指摘することは被告である県側にとって極めて有利な証拠であることは明白であると考えられます。しかし第二審口頭弁論が2回終了しても県側はこの事実を指摘しないことはまことに不可解な状況であると考えざるを得ません。敬具

 そこでいくつか裁判担当者殿に質問いたしますので回答をお願いいたします。

1.追悼碑を守る会(旧建てる会)が平成11年に刊行した「消し去られた歴史をたどる」は引用元である群馬県内市町村における戦前戦時中の記録と著しく食い違う表記があること検証資料で指摘しましたが、そのことを確認しましたか?

1.「消し去られた歴史をたどる」を原書と比較検証して改竄を発見して指摘した資料は被告である県側にとって極めて有力な証拠であることを認識していますか?

1.追悼碑設置を求める請願で提出された「消し去られた歴史をたどる」が原書と著しく表現が食い違い意図的な改竄がなされていることを次回の東京高裁における口頭弁論で指摘する意思はありますか?

1.平成13年朝鮮人追悼碑の設置を求める請願で、戦前戦時中の群馬県内における朝鮮人強制連行の証拠として提出された「消し去られた歴史をたどる」に、原書と大きく異なる改竄があったことを控訴審で指摘せずに群馬県が敗訴した場合、明確に県側にとって有利な証拠を使わなかった理由を県民にどのように説明しますか?

1.東京高裁における控訴審2回目が平成30年11月5日に開廷されましたが1回目と同様に被告の県側にとって有利である「消し去られた歴史をたどる」の改竄を指摘しなかった理由を説明してください。

 以上5点の質問に対して平成30年12月11日までに回答をお願いいたします。またこの公開質問状と回答はインターネット上の様々な媒体で公開いたしますことをご了承ください。また新聞紙上においても公開することを交渉しております。

 平成30年12月3日

 歴史捏造を許さない市民の会 会長 金沢レオ
 ≪群馬県からの回答≫
平成30年12月3日付でいただいた群馬の森追悼碑訴訟に関する質問について次のとおり回答します。

 県としては、一審判決で設置許可条件を違反したと認められたにも関わらず、不許可処分が取り消されたことは大変遺憾であり、県には安全で安心な憩いの場である公園を提供する責務があることから、控訴審で県の正当性を主張しております。係争中であるため、個々の質問に対する回答は差し控えさせていただきますが、全力で勝訴に向け、取り組んでおりますので、ご理解いただけますようお願いいたします。

 平成30年12月10日 群馬県県土整備部都市計画課課長

 【朝鮮人追悼碑訴訟】 やる気ゼロの群馬県・・・。 歴史の捏造・改竄は見て見ぬふり (2018.11.8 UP)
 ウソと捏造の象徴、「群馬の森」の朝鮮人追悼碑をめぐる控訴審の第二回口頭弁論が11月5日、東京高裁で開かれました。 第一回の口頭弁論では、いわゆる「追悼碑」を管理する「追悼碑を守る会」が意見陳述を行いました。 (「群馬の森」朝鮮人追悼碑の詳細情報はこちらをご覧ください。)

 第二回の口頭弁論では、群馬県側が意見陳述を行うはずでしたが、なんと県はこれを放棄して書面の提出だけで終了となりました。 碑を管理する「追悼碑を守る会」が発行する、「強制連行」捏造の小冊子『消し去られた歴史をたどる』の捏造・改竄箇所については、指摘されることはありませんでした。 この捏造・改竄された内容の小冊子は「追悼碑を守る会」(当時は「建てる会」)が、追悼碑設置の許可申請に添付していた資料であり、虚偽の申請によって碑の設置許可を受けていたことから、碑の建立そのものが無効となる内容のものです。 そして、この小冊子の捏造・改竄箇所の詳細な内容をまとめた資料は、県側の訴訟担当者には渡されており、そのデタラメな内容は県側は把握されているはずでしたが・・・、弱腰の群馬県は「強制連行」のウソに切り込むことはありませんでした。 法廷では「追悼碑を守る会」の弁護団で、かつて朝鮮総連からの献金疑惑で参院副議長を辞任した角田義一氏から、「意見陳述したらどうだ!」などと屈辱的な言葉を浴びせられる場面も見られたようです。 もしもこのままオメオメと、一審と同様に勝てる見込みの裁判を自ら放棄するようでは、群馬の地方行政は、デタラメな「追悼碑」とともに未来永劫笑い者にされることでしょう。

 元徴用工をめぐる韓国最高裁の異常判決に対して、日本政府のみならず、多くの議員のあいだでも怒りの声が高まっている中で、 地元の公有地をデタラメな歴史の主張に利用されながら、裁判では全く争う姿勢がない無責任な地方行政に対して、どうか抗議の声を上げてください。

【抗議先】
群馬県庁
(都市計画課)
TEL : 027-226-3675
FAX : 027-221-5566
Mail : kanrika@pref.gunma.lg.jp
大沢群馬県知事 大沢正明 公式ウェブサイト
http://oosawa-masaaki.com/contact
参議院議員
山本一太事務所
≪国会事務所≫
TEL : 03-6550-0609
≪前橋事務所≫
TEL : 027-254-6200
≪Mail≫
http://www.ichita.com/03mail/index.html
参議院議員
中曽根弘文事務所
≪国会事務所≫
TEL : 03-3581-3111
FAX : 03-3592-2424
Mail : contact@hiro-nakasone.com
≪前橋事務所≫
TEL : 027-221-1133
FAX : 027-221-4111
首相官邸 首相官邸に対するご意見・ご感想
https://www.kantei.go.jp/jp/forms/goiken_ssl.html
河野太郎外務大臣 河野太郎 公式サイト
「河野太郎にメールする」ページ
【新聞でも大きく掲載された「追悼碑を守る会」が発行する小冊子の捏造・改竄】
平成30年2月11日付 産経新聞「群馬版」
【群馬での「朝鮮人強制連行」のウソ まとめ(PDF)】

 迷惑な元首相が渋川で講演  (2018.10.7 UP)
 群馬が世に放ってしまった迷惑な元首相が日中関係について講演を行ったようです。それは渋川市国際交流協会の主催で行われた日中国交正常化45周年を記念して行われた「国際理解講座」なる講演会。 中国への好感を隠さない福田康夫元首相は講演で、中国やアジア諸国との関係について、「世界中とお付き合いしていくことが日本の生きる道」、そして今や政治プロパガンダであることがバレてしまったとも言える「南京大虐殺」については「数の問題ではない」などと、的外れなご高説をたれたようです。
平成30年10月6日付 産経ニュース「群馬版」

 福田康夫元首相はかつて、靖国参拝に関する記者の質問に対して「友だちが嫌がることはしない」などと、戦争で国のために散華された英霊を冒涜した上に、勝手に中国を「友だち」と呼び、友だち関係と国との関係を同列に扱う不見識ぶりを内外にアピールしてしまいました。 安全保障の面でも、日本のような島国にとっては大きな抑止力となるクラスター爆弾を廃止してしまうなど、ろくなことをしなかった元首相でした。 さらに拉致被害者家族からは、「拉致問題に対して最も冷酷だった首相」とされているようです。

 北方四島は日本の領土返還なくして「戦後」は終わらない
 〜北方四島交流訪問事業レポート〜  (2018.9.15 UP)

 プーチン露大統領がウラジオストクで開かれた東方経済フォーラムで「年内の平和条約締結を」と発言したことが大きな波紋を呼んでいる中、群馬県隊友会長 小島健二様より、「よりたくさんの皆様に北方領土問題を知っていただきたい」とのことから、北方領土(国後、択捉)訪問レポートをお送り頂きましたので、ここに掲載させて頂きます。
北方四島は日本の領土返還なくして「戦後」は終わらない
平成30年度 北方四島交流訪問事業(第1回・一般)参加所見

群馬県隊友会長 小島 健二

 平成30年7月26日(木)から31日(火)の間、「独立行政法人北方領土問題対策協会」(以下北対協という。)が実施する「北方四島交流訪問事業」に、 公益社団法人隊友会から推薦され「北方領土返還要求運動連絡協議会」(以下北連協という。)の団員として参加する機会を得た。

 団員64名は北連協事務局長児玉泰子氏を団長に国会議員等、北対協、北連協、交流専門家、北方領土元居住者、報道関係者、政府関係者、医師、通訳、事務局から構成されていた。

 2012年12月衆議院選挙直後の記者会見において総理就任前の安倍自民党総裁は、日ロ関係の重要性を強調しつつ、日露関係を改善していく中で、領土問題を解決して、平和条約の締結を希望する旨述べました。

 2013年4月安倍総理は日本の総理としては十年ぶりにロシアを公式訪問し、プーチン大統領と日露首脳会談を行いました。

 2016年5月ソチで行われた日露首脳会談で、今までの発想にとらわれない「新しいアプローチ」で交渉を精力的に進めていくとの認識を両首脳で共有しました。

 そのような中で、現在国後、択捉島の代表者、住民が日本に対してどのように考えているのかを知る良い機会であった。

 交流訪問事業の目的は領土問題が解決されるまでの間、日本人と四島に在住するロシア人との民間レベルでの相互理解の増進を図ることであり、児玉団長以下各団員の熱意と努力により所期の目的は十分に達成されたと思慮する。

 国後島1日、択捉島2日で訪問先、視察先は20箇所、日程の割にはかなり密度の濃い事業であった。

 島の代表との面談は極めて友好的でビザなし交流の成果が感じられた。


(停泊中の船舶「えとぴりか」)

 一方博物館視察の際の案内係の説明には違和感を感じた。「戦後、再度ロシア領(ソ連)になった」と言った事である。 1855年日魯通好条約で始めて国境が確定さたのであってそれ以前はどちらの国の領土でもない。戦後日本から奪い取っただけのことである。 きっと、 マニュアル通りの回答をしたのであろうが歴史認識が大きく異なることを再認識した。

 択捉島紗那墓地墓参、われわれの交流訪問事業の一週間前、航空機利用による関係者等の墓参が行われ、墓地はおおむね綺麗に清掃されており、当初予定されていた草刈は行われなかった。日本人にとって墓参は意義深い事業だと思う。

 住民交流会、小箱作り、アクセサリー作り、布草履作り共に参加者で満席。ロシア人の子供もご両親等も大喜びで、住民交流会は大成功だと思う。

 択捉島オダイバケ温泉、温泉といっても水泳パンツ等を身に着けて入るもので、日本の温泉とは全く異なるものである。 帰宅後同行したフジテレビの記者の温泉風景が放映された。まさに観光スポットであるとの印象を受けた。共同経済活動の事業化で合意している観光ツアーの目玉になると思われる。


(択捉島 オダイバケ温泉)

 ホームビジット、今回の交流訪問事業で心配はしていたが、もっとも楽しみにしていたのはホームビジットである。 若いスタイルの良いお母さんと、賢そうな6歳の息子さん、黒い大きな猫、グレイの子猫が迎えてくれた。通訳の方が来るまでは悪戦苦闘、自己紹介の後は四島交流の会話集を頼りに交流に努めた。 私が知りたかったことの一つは、なぜ択捉島に住んでいるのかということであった。通訳のおかげで祖父母の代から住んでおり、息子さんは四世代目であることがわかった。 それなりに島での生活に満足している様子であった。

 択捉島ビラ海岸散策、今回の交流訪問事業の内、数少ない観光が目的の場所である。

車高の高いトラックバスに揺られ道なき道を走行、いたるところに湿地帯があり、草花が咲き誇りとても綺麗であった。 蝦夷キスゲのオレンジがかった黄色の花が特に印象的であった。ビラ海岸の絶景は日本では見ることのできない「秘境の旅」とでも称すれば温泉同様観光ツアーの目玉になると思われる。


(トラックバス ビラ海岸)

 紗那下町散策(旧日本学校)、日本人が住んでいた痕跡を残しているのが墓地と旧日本学校である。門柱には何も書かれておらず、旧校舎はかなり老朽化している。 何らかの形で残す努力をしてもらいたいと思った。

 夕食交流会、国後島、択捉島での夕食交流会の歓待ぶりは筆舌に尽くしがたい。民と民の強い結びつきが、国と国の困難な問題解決に一歩でも近づくことを切に願った。

 帰宅数日後、読売新聞に同行記者の記事が掲載された。記者の目は私の目よりかなり厳しく映っていたようである。 「日露両国の経済活動をめぐる協議が進まないのを尻目に、中国企業などが現地開発を後押ししている。」 また水産加工場に「クリルはロシアの土地」というスローガンが掲げられていることを掲載していた。 中国の「漁夫の利」とならないよう、北方領土での共同経済活動が事業化できるよう進展を期待している。

 また8月7日、産経新聞に「択捉島に戦闘機配備 政府露側に抗議」の記事が掲載された。スホイ35は第四世代戦闘機で極めて高性能の戦闘機である。 ロシアが北方領土で軍備増強を進めているのは遺憾と思い、北方領土問題は粘り強く交渉しなければならない問題であることをあらためて認識した。

 観光ツアーの交流事業のためには、ビザなし交流の拡大が不可欠であり、根室港と国後、択捉島の航路の開設、北海道の飛行場と択捉飛行場との空路の開設の方向に進められることを願っている。 人の交流のみではなく、野菜等の生鮮食品の移動も可能になり国後、択捉島の居住者にもメリットがあると考える。

 沖縄には、返還前戦後施政権が米国にあったときでも、日本人はそのまま居住しており、米国人は軍人を除けば一般人はほとんど住んでいなかった。 一方旧ソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄し、終戦後ヤルタ協定を根拠に北方四島を侵略後、すべての日本人を島から追いやり、その後には現在四世代までが居住している状況となっている。 北方領土問題の解決の難しさは沖縄とは比較にならないと考えられる。

 1981年9月27日、納沙布岬に北方領土返還祈念シンボル「四島のかけ橋」の建設委員長であった末次一郎氏(沖縄返還にも尽力された。)は「北方領土の返還が実現しなければ、『戦後』は終わらないと言い遺している。

 領土問題を解決し、日露の平和条約を締結することは、日本の安全保障環境を今よりはるかに強固にすることは間違いなく、 難しい問題であるからこそ、それぞれの立場を越え国民一丸となって、政府を支え、後押しすることが不可欠であると考える。

 われわれ団員ができることは解散後にある。何度も強調されたが事後活動の徹底である。北方領土問題意識の普及高揚に努めたい。

 北連協で実施した事前研修を含め本交流訪問事業間で団員の皆さんと相互理解を深めることができたことも私にとって大きな成果であった。

 北対協、北連協をはじめ関係者皆様に深く感謝申し上げます。
 小島会長、貴重なレポートをありがとうございました。

 【朝鮮人追悼碑訴訟】 控訴審第一回口頭弁論  (2018.9.13 UP)

 ウソと捏造の象徴、「群馬の森」の朝鮮人追悼碑をめぐる控訴審が始まりました。 碑に犠牲者の名前は無くても、代わりに「ウソ」がいっぱい詰まったその物体。 管理する「追悼碑を守る会」は県に対して、なんと「更新許可の義務付け」を求めてきました。 県民にとっては邪魔でしかない物体なのですが、 どうしたら人間、ここまであつかましくなれるものでしょうか・・・。

☆--- 以下、産経新聞「群馬版」9/13)より引用 ---☆

 高崎市の県立公園「群馬の森」にある朝鮮人労働者追悼碑の設置許可を県が更新しなかったのは違法として、 追悼碑を管理する市民団体「追悼碑を守る会」が処分の取り消しなどを求めた訴訟の控訴審第1回口頭弁論が12日、東京高裁(大段亨裁判長)で開かれた。 1審前橋地裁判決は処分を取り消したが、更新の義務づけまでは認めず、双方が控訴している。この日の弁論で、守る会側は改めて義務づけを求めた。

 1審判決によると、追悼碑は原告の前身団体が平成16年、県から10年間の設置許可を受けて建てた。 その後の追悼式で出席者が「強制連行の事実を訴えたい」などと発言したため、県は26年7月、許可の更新を認めなかった。

 県側は控訴審で、追悼碑は政治的行事に当たり、碑は憩いの場としての公園にふさわしくないと主張。処分は裁量の範囲内だとした。

 1審判決は「一部の追悼式が政治性を帯びることは否定できない」とした上で、公園の利用者減少などの具体的な支障は生じておらず、処分は裁量権を逸脱し違法だと判断した。

 第2回口頭弁論は11月5日。

☆------- 引用ここまで -------☆

 堤ケ岡飛行場建設における「朝鮮人労働者」に関する証言  (2018.8.19 UP)
 「群馬の森」の朝鮮人追悼碑訴訟において、原告の「追悼碑を守る会」が証拠資料として提出した小冊子「群馬における朝鮮人強制連行と強制労働」の中で、多くの捏造箇所があったことはすでに当ホームページでご紹介いたしました。

 小冊子には多くの朝鮮人が「強制連行」されたとされる現場が複数紹介されていましたが、引用原典とされる市町村史や、工事に関わった会社の社史などと照合した結果、その多くが捏造・改竄であることが判明しました。 しかし、地元の市町村史に朝鮮人労働者に関する記述がなく、検証できなかった現場がいくつかありました。 そのうちのひとつが「堤ケ岡飛行場」で、小冊子によれば、工事の主力は朝鮮人だったとのことですが、地元の堤ケ岡村誌には朝鮮人労働者の記述はなく、検証はできませんでした。

 ところがこの度、「陸軍 前橋飛行場」というドキュメンタリー映画が一般公開されました。特攻隊の基地にもなっていたこの飛行場でしたが、地元の人たちは「堤ケ岡飛行場」と呼んでいたそうです。 映画そのものは地上波で繰り返し放送された「反戦モノ」の特番と同じで、「日本軍=悪」といったイメージのものでしたが、当時を知る人が朝鮮人労働者について証言をしていました。 証言によると、朝鮮人の仕事はトロッコ押しで、通常トロッコは二人がかりで押していたが、朝鮮人はそれを一人で押して、給料も日本人の2倍もらっていたとのことでした。

 「群馬の森」の朝鮮人追悼碑の除幕式で追悼の辞を述べた玉村町議会議員は、自身のブログで、この反戦映画のことを取り上げていましたが、朝鮮人が日本人の2倍の給料をもらっていたことについては、見事にスルーされました。


 ドキュメンタリー映画『陸軍前橋飛行場』 ※ 映画を観た方からのレポートをUPしました。 (2018.8.13 UP)
映画『陸軍前橋飛行場』が8月、県内で一般公開されるようです。 前橋飛行場は大東亜戦争の開戦により、日本全国にわたって総力を挙げて航空決戦の準備が進められた中、航空部隊増強のために、現在の高崎市堤ケ岡に飛行場が建設されました。 当初は少年飛行兵の訓練に使われていましたが、戦況が悪化した終戦末期には特攻隊の基地としても使われていました。 また、米軍の爆撃により、飛行場周辺の地域にも多くの犠牲者が出たようです。

映画の公開に先立ち、飛行場跡地近くのイオンモール高崎ではパネル展が開かれていました。お話をうかがったところ、映画は政治的なものではなく、あくまでドキュメンタリー映画だとのことでした。 予告編には福田康夫元首相も登場しており、多少嫌な予感もしますが、興味のある方はご覧になってみてはいかがでしょうか。 上映される劇場は以下の2か所です。

◎前橋シネマハウス
上映期間:8月4日(土)〜8月17日(金)
公式サイト:https://maecine.com/
◎シネマテークたかさき
上映期間:8月11日(土)〜8月24日(金)
公式サイト:http://takasaki-cc.jp/


【関連記事】 平成30年7月7日付 産経新聞「群馬版」

映画『陸軍前橋飛行場』をご覧になった方から寄せられたレポート
◆K.Sさんより - 2018年8月4日 -
ドキュメンタリー映画「陸軍前橋飛行場」感想

地元前橋にも特攻隊基地があったことを初めて知りました。終戦間近の頃、最後の特攻隊員達が前橋飛行場で訓練を行っていたそうです。

映画は鈴木越夫氏「陸軍前橋飛行場と戦時下に生きた青少年の体験記」を原作に、当時前橋飛行場周辺で暮らしていた人達のインタビューをドキュメンタリー形式でまとめていました。
飛行場建設までの流れや前橋空襲の様子など詳しく知ることができます。

以下感想

戦争当時を知る人が年々少なくなってきた今、文書や映像による記録を残したいという思いから製作されたとのこと。やはり実際に体験した人達の言葉は重みがある。
農地の強制的没収、学徒動員、勤労奉仕の過酷さなどの証言が多くあり、当時の大変な状況が伝わってきた。
個人的に残念なのは飛行場建設に至る時代背景の説明が少なく、「戦争を続けたい軍部=悪」というような印象を受けてしまいそうな点。
確かに当時必死に生きていた人にとってはそう感じられていたのだと思う。しかし今を生きる私達はなぜ開戦せざるを得なかったのか、十分に学び知ることができるのだから、「二度と戦争をしないために」は開戦に至る国際情勢を含め時代背景も正しく知る必要があると思う。

そうは言っても豊かな時代しか知らない私にはインタビューの内容は胸に迫るものがあり、8月5日の前橋空襲のことは今まで知らなかったので少し恥ずかしくなった。教科書で教えてもらえなくても、こうした無数のエピソードがまだあるのだと思う。まさに地元前橋でも当時必死に生き延びてくれた人々がいたからこそ私もここにいるのだと思うと有り難さでいっぱいになった。

日本を守る為に亡くなっていった英霊を思うにつけ、与えられた命を精一杯生きるしかないといつも思います。
東京日比谷でも上映されるそうなので興味のある方は是非足を運んでみてください。
◆Y.Tさんより - 2018年8月12日 -
 高崎市での初回の上映に、30分ほど前に出かけたが、数人前で満席となり、残念ながら監督のあいさつは無しの、次の上映を鑑賞してきました。廊下には「陸軍前橋飛行場」の新聞記事が掲示されていたが、上毛新聞と東京新聞は各2回、朝日新聞、毎日新聞の各1回の記事であった。産経新聞、読売新聞見当たらなかった。観客は6〜7割位が60才以上の感じで30才前後で一人で見に来ていたのは、数人だったでしょうか。年配者の付添者で若い方も数名いた。

 ある程度予想はしていたが、映画の内容については、印象は二つに分かれる気がしました。それは、
@ 製作者もそうであると思われる、戦争のことは直接体験していない者からの視点
A 当時直接、戦争の体験を前橋で空襲・勤労奉仕などを体験された方の言葉・視点
ですが、Aの直接体験者の言葉は、いわゆる戦後の戦争を体験していない者の軽々しい論評を、黙らせるものがある。いわゆる左対しても右対しても同じだろうと思う。 ただただ、その言葉が魂に直接届いてくる感じである。兵士のかたの出演はなかったと思うが、その場合はもっと重みを増すことと思う。私たちは、それを受け止め、気持ちに寄り添うことしかできない気がします。
@については、映画のはじめの飛行場建設のまでの取材と、最後の監督の米国に資料をに行った後の部分に該当すると思う。飛行場建設あたりの取材出てくる「憲兵隊」は酷かったとの部分は何回か出てくる。また、飛行場建設にあたり田畑など強制的に立ち退かされた時だったと思うが、画面に「強制的」の文字が中央に映し出されていた。
「強制的」に焦点を当てるのは、いわゆる「従軍慰安婦」や「徴用工」に必ず出てくる言葉である。この辺は、左寄りの報道等でよく目にする「いつものもの」である。
戦時で「憲兵」が酷いとは、不当で残虐であったかどうかであり、言葉の厳しさや脅しと感じる言葉や、ビンタなどの暴力は戦時ばかりでなく、戦後もしばらく残っていた風習であったと思う。飛行場用地の私有地立ち退きも、何等かの手当か保障があったかどうかは、特に述べられていない。又戦後どうなったか含めて調査が必要と思う。
現代でも、時間はかがっても、立ち退きがなされ意志に反していれば「強制的」ととらえることも可能ではないかと思う。

 最後に、この種の「戦争」を題材とする映画は、その悲惨さや時には英雄的行為を浮き彫りにすることが多いが、そろそろこの狭い時間的スパンから、脱してほしいと思う。
 なぜ、日本は戦争という道を選んだか・或いは戦争に追い込まれたのか、その底部には本当は何があったのか。排日法・原油等の禁止・米国の拒否ありきの対米交渉そしてハルノート(一般国民は知らされていなかったが)、に対して、真珠湾攻撃の開戦で、日本人の雰囲気は、吹っ切れたすがすがしさがあったとも言われる。そして、多大で悲惨な犠牲を受けて、いさぎよすぎる位に特に米国に従い、悔しさを内に占めて、身を粉にし働き、ついに経済で欧米を凌駕するほどにした。その日本人の秘めた大きな心の歴史を、映画にする監督はいないのでしょうか。そう思いながら、映画館を後にしました。

 「自衛官募集」のポスターをUPしました。   (2018.7.10 UP)
崇高な志の若い皆さんを応援すべく、自衛隊の了解をえて「自衛官募集」のポスターを掲載いたしました。
≪お問合せ先≫
自衛隊群馬地方協力本部

TEL:027−221−4471
メールアドレス:hq2-gunma@pco.mod.go.jp
◆太田出張所
◆前橋募集案内所
◆高崎地域事務所
◆沼田地域事務所
0276−45−5563
027−233−8960
027−326−1761
0278−23−4111

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■ 更新情報
2018/12/13 公開質問状に対する群馬県からの回答を掲載しました。
2018/12/03 「群馬の森」朝鮮人追悼碑訴訟をめぐる、群馬県への公開質問状を掲載しました。
2018/11/13 自衛官候補生募集のポスターを掲載しました。
2018/11/08 「群馬の森」朝鮮人追悼碑訴訟をめぐる情報を掲載しました。
2018/10/07 「福田康夫元首相が渋川で講演」の記事を掲載しました。
2018/09/24 「拉致問題講演会」のお知らせを掲載しました。
2018/09/15 北方四島交流訪問事業レポートを掲載しました。
2018/09/13 朝鮮人追悼碑訴訟をめぐる新聞報道を掲載しました。
2018/08/25 運転免許証期限表記をめぐるパブリックコメント募集の情報を追加しました。
2018/08/19 イベント情報を更新しました。
2018/08/19 「護国神社昇殿参拝&医学博士によるコレステロール量調節物質に関する研究発表」のレポートを掲載しました。
2018/08/19 堤ケ岡飛行場建設における「朝鮮人労働者」に関する新たな証言を追加しました。
2018/08/13 映画『陸軍前橋飛行場』を観た方からのレポートを追加しました。
2018/08/06 映画『陸軍前橋飛行場』を観た方からのレポートを掲載しました。
2018/07/10 ブルーインパルス展示飛行のチラシを掲載しました。
2018/07/10 自衛官募集のポスターを掲載しました。
2018/07/08 映画『陸軍前橋飛行場』一般公開についての情報を掲載しました。

■ 頑張れ日本!全国行動委員会 群馬県支部 概要
顧 問 伊藤純子(伊勢崎市議会議員)
代 表 者 寺林よしのり
T E L 080−6686−2352
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■お願い
平成25年1月より「頑張れ日本!全国行動委員会群馬県支部」は政治団体として登録を行い、寄付金を頂けることが可能になりました。 今後も日本の国防・安全保障を考え、日本の正しい政治を実現するため、講演会・街頭宣伝などの活動を展開してまいります。 どうぞご支援のほど、よろしくお願い申し上げます。

◇お振込み先のご案内

◎銀行名:ゆうちょ銀行
《ゆうちょ銀行の口座からの振込みの場合》
 口座番号:記号10450 番号15211301

《ゆうちょ銀行以外の口座からの振込みの場合》
 店名:0四八(読み ゼロヨンハチ)
 店番:048
 預金種目:普通預金
 口座番号:1521130

◎口座名義:頑張れ日本 全国行動委員会 群馬県支部

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